この石鹸は

2013年12月27日

先日(というても確か11月)、地元で開催していたオーガニックフェスタという催しにチラ見に行って、手作り石けんを購入しました。

この石鹸はBlue-Handmade Soap というお店の商品です。
体に優しく、安心、安全で、なるべく国産かつ地産地消を目指した材料を使うように心がけて作っておられます。

この石鹸は、解禁日が11月24日でしたがspeed dating newfdgathering、今使っているのがなかなかなくならないので、使うのをじっと我慢の子をしていましたが、手作りなのでなるべく早くつかってくださいねという製作者さんが書いておられるブログの注意事項を読んだので、早く使いたい気持ちの後押しになり使いはじめました。

ものすごく気持ちの良い石けんです。年齢的にもほったらかし期間が長すぎるせいもあり、しわしわの手の甲がクリーム要らずにはなりませんが、なんだかしっとり。(お若い方だとクリーム要らずになるかも)顔にも使用しました。

手作り石鹸というのは、作っておられる方の心意気とかもあり、良い材料で作っておられる場合が多いです。

この石鹸もそうなんですが、手作り石鹸って「雑貨」でしか販売できないそうです。

薬事法の関係で、顔や手や髪の毛に使う前提で、販売することには禁止されているんですって!

だから、使用者の自己判断と責任においてお使いくださいとしか言えないらしいんですが、私は手を洗った感触から、これは髪の毛にもOKみたいなお感じがして、髪の毛も洗ってみようかなと思っています(まだチャレンジしていません。今夜実行!)。

作っておられる方は髪の毛も、ご自分で作られた石けんで洗っておられるそうです。

オーガニックフェスタでは、製作者さんから直接購入したのですが交友平臺、お肌も髪もとてもキレイな方でした。特にお肌は「めちゃめちゃキレイ」でした。
全身、ご自分で作られた石けんをご使用とのことです。

髪の毛キシキシになりませんか?とお尋ねしたら、

石鹸で洗うことによってベタベタ、キシキシになるのは、髪の毛のキューティクルがどれだけ傷ついていて、どれだけの石鹸カスがそこに詰まるか、にも関わってきます。 今までシリコンでずっとキューティクルの傷を埋めていた状態であれば、髪本来は、ギザギザな状態で、そこに石鹸カスが詰まってしまうのは、どうしても避けられない道かもしれません。

ということでした。

この製作者の方は、クエン酸、グリセリン、ごく少量のオイル、アロマの香りをブレンドしたリンスを手作りされておられるそうなんですが、そういうのも売ってほしいなと思うのですけど、薬事法でダメらしいです。

酢リンス(お湯に酢をまぜただけ)は以前に使って、これは好きになれませんでしたけど、クエン酸で作るのならいいかも。

私はシャンプーは贅沢して、リンス不要のノンシリコン、石油系活性剤フリーのちょっと高めのを使っています。
リンスのヌルヌルを洗い流すのがものすごく不快で、リンス不要のを使うようになってから、髪の毛の汚れ方がすごくマシになりました。それと静電気が起こりにくくなっています。

今日紹介している手作り石けんは、

で購入することもできますし、先ほど紹介したBlue-Handmade Soap からでも購入できます。
このブログを読ませていただいたら、石けんの紹介はほんの数行しかないのですが、不思議なことに楽しんで作っておられる雰囲気が伝わってくるのです。

楽しく、丁寧に作られたモノは、使い手にも楽しい気分を味あわせてくれます。

欲しい石けんがいっぱいです。酒粕にはかなり惹かれましたが牛欄牌回收、すでに売り切れ。体は一つしかないので、使いきってから、その時にあるのが私に合う石けんとの出会いかもと思っておくことに。

いろいろな石けんを少しずつしか作っておられないので、すぐに売り切れてしまいますが、ひょっとしてアレ欲しいと言ったら作ってくださるかもです。

一人ひとり使い心地の感じ方は違うものですが、人様におすすめしたくなった久々のモノに出会ってしまいました♪

ではまた明日
読んでいただいてありがとうございました。  


Posted by judy at 11:26Comments(0)牛欄牌奶粉

你終於送我一場春雨

2013年10月09日

我想也許我會邂逅一個女子,在一場春雨之中,Galaxy 防水殼鋪著石板路的巷子裡,兩旁是青磚白牆的院落。她撐一把傘,面容乾淨。我們擦肩而過,不做任何交談。


我的心還是柔軟的,也許柔軟也可以貼上稚嫩的標籤,所以想讓你送我一場春雨,在江南。我一直是一個固執而矯情的人,正如同我一直認為江南應該是三月裡桃花紛紛,美人顧盼含笑兮的模樣。

如果有來生,我願意是一個男子,生在江南。那麼我便必定是一個眷戀故鄉的人,也許會在某個清新古樸的小城生活,從生到死,安定的過平凡的日子。

我想要擁有一枝清新極具靈氣的筆,就像江南的一場春雨。我可以讚頌大海的壯闊,戈壁的廣袤,林海雪原的蒼茫。我向來對“世間有大美”這句話深信不疑,我知道它們定會帶給我不曾想像過的震撼。但它們不屬於我,我對於它們來說只是又一個過客。而江南不同,我想她不會給我震撼。她只是讓我的心能夠安定下來,得到一點慰藉,我能夠停留。

我由始至終無緣見江南一面,卻千思百念。記得有一本書叫做《租一條船漫遊江南》,真好的名字,只是一直沒有機會看。好像任何詞語或任何句子,一旦與江南有關,都會美妙的一發不可收拾。

我在想,我為何對江南情有獨鍾。我沒有去過南方,也就不曾親眼所見她的清麗婉約。只是從那些詩詞與歌賦的隻言片語中所知一二。但我想,這就夠了,只有這些已經教我魂牽夢繞了。韋莊說,春水碧於天,畫船聽雨眠。杜牧說,二十四橋明月夜,玉人何處教吹簫。白居易說,能不憶江南!還有許多人,用他們一枝生花妙筆,將江南描繪的淋漓盡致。

若,若來世不能生為江南的人,那就讓我做一隻不知名的鳥吧。沒有鴻鵠之志,只是很簡單的願望,生於江南山水之中,每日尋草籽來吃。有一個溫暖的窩,頭頂是潔淨的藍天,有白雲漂浮,想必也很快樂。江南,你送我一場春雨吧,曾壁山中學滌去我身上世俗的塵埃。這樣你擁抱我,我們才會真的相近。

我親愛的江南,那岸上清俊的少年,溫和的眼眸,衣白衣,在垂柳之下站立著。那船上聰慧的女子,笑意嫣然,眼波如水般溫柔,百轉千回。如果這時我能夠,必定傾我全力送你一場春雨。

如果可以——我願意守著你過一生。可以找一份安閒的工作,嫁一名溫和的男子,有一個女孩。我想,她在你的身邊長大,定會像你那樣聰靈。這樣的一生,應該不會漫長,但我想我會快樂。

可是,我又怕。我只是一個平凡的人,身上有許多劣根性,自私以及虛榮。你離我是如此的遙遠,我眷戀你,卻無法貼近你。我多想生在江南,共你一生。偏偏家在北國,而我又十分戀家,沒有生出豪氣的夢,只願守著愛的人過平凡的日子。

你我是否已無緣?

不,在我的心裡我已經認定,你就是我的江南。總有一天,我會奔赴你,與你相約。

我想也許我會邂逅一個女子,在一場春雨之中,牛欄牌問題奶粉鋪著石板路的巷子裡,兩旁是青磚白牆的院落。她撐一把傘,面容乾淨。我們擦肩而過,不做任何交談。

這樣就足夠。

你終於送我一場春雨。

江南 。
  


Posted by judy at 17:06Comments(0)牛欄牌奶粉