これから書くことは僕たち

2014年02月28日

こちら
をお読みください。

この現場の仕事からある程度時間が経ったので書かせていただきます。



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これから書くことは僕たち、少なくとも僕個人が今まで持っていた人としての倫理升降桌、命の倫理の根底を否定することになるかもしれません。なぜなら人や自分を 殺す ということを絶対悪として完全に否定できないからです。

前記事のなかで僕が完全に人や自分を殺すということをなぜ絶対悪として否定できなかったかを少しでも察していただけましたら幸いです。



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あの現場はいわゆる 心中 でした電腦椅

カギ屋は扉を開けるまでが仕事なので部屋に入ることはできませんが管理会社の話によるときれいに並んでお亡くなりになられていたようです(どうやって命を絶ったのかはここでは伏せさせていただきます)。
部屋は争った形跡もなく整理整頓されていて眠るように亡くなられていたそうです。
経済的に困窮しているわけでもなくご主人も普通にお仕事をされていたのでした。

ただこの夫婦の奥さんがある病の末期ということで通院をしていたのですが一週間ほど病院にこなかったことを不審に思いその夫婦の住む住宅を管理している管理会社に病院が安否確認の依頼をしたのでした成長桌

ご親族(特にご主人側)はこのお二人の結婚に反対されていたようで随分長い間会っていなかったようでした(本人確認のためにご主人のお父様が現場に来るまでに何時間もかかったことは距離の問題ではなかったようでした)。



奥さんの命がもう長くないということをご本人もご主人も知っていたのでした。




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この夫婦はどちらかが欠けてしまうのなら命をも投げ出してしまうほどの深い絆で結ばれていたのでしょう。

逃避だとか弱いだとか他人が口で言うのは簡単ですよcellmax 團購
金科玉条のように 命ある限り生きろ というのは誰にでもできるんです。

僕は思うんです。
愛する人ができて同じような状況になった時、この夫婦と同じことをしないという絶対の自信がありますか。
僕にはありません。

命を絶つこと以上につらく残酷な生、そして生を超える深い絆は確かにあるのです。

恐らくこの夫婦の最期の空間、時間は誰も踏み込むことのできない 聖域 だったのでしょう。
絶望はあったかもしれませんが不幸ではなかったと僕は思いたいのです。

僕はこの背景を知った時、初めて現場で泣きました。
この背景を知った時、初めて現場で声をあげて泣きました。



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僕は弱くなったのかもしれません。  


Posted by judy at 13:12Comments(0)記事